~Due pensiero di Pancia-Piena~
パンチャ・ピエーナのシェフである僕には2つの“思い”がある。
この2つの思い。。。実は1つの同じ意味を持つ。
もともと“イタリア料理”というものは存在しない。それぞれの地方、それぞれの街の料理が、それぞれの伝統や調理法を守って存在している。そして、そのルーツを辿ると、それぞれの家庭料理に繋がる。…つまり“マンマの味”だ。
1998年5月にオープンして以来…いや、僕がこの道に入った時からずっと、その“マンマの味”を見つけるべく試行錯誤…思考錯誤してきた。言い換えると“お袋の味”だから、生まれてからずっとかもしれない。幸い、料理上手の母親と、料理好きで外食にも頻繁に連れて行ってくれる父親のもとで育てていただきました。
料理人が自分の料理に納得する日は来ないのかもしれません。24歳で店をオープンした頃は、イタリアや都内のイタリア料理店に興味津々でした。負けてはいられないと…。年齢を重ねるごとに、その意識の輪は段々と狭められていきました。都内のお客様と、深谷のお客様とでは感覚が違うという考えからです。例えば、イタリア料理では無いと伝え続けても、「ドリアは無いんですか?」「ハンバーグは無いんですか?」「ライスは…?」。輪を狭めたのは“あきらめ”というネガティブなものからだったと思います。
自分を表現できる料理を食べてもらいたい。それでも、日々の暮らしもある。お客様の反応も、正直怖い。不景気が続く中、日々の節約を強いられているだろう?節約を意識してはいないにしても、お金を払って食べる料理のチョイスは失敗したくないはずだ。…工夫して提案してみても、結局お客様は無難な料理を選ぶ…。 そんな経験から、なかなか思い切ったメニューを作れないもどかしさがあった。そして、王道である『伝統的なイタリア料理』を追求してゆく力と勇気が僕にはありませんでした。
そんな僕にプレゼントが届いた。2010年のX’mas…深谷市のプロジェクト『ゆめ☆たまご』からお声掛けいただき、その活動に参加した。産・学・官が連携し、深谷市を元気にする集団だ。短期間のうちに、目が廻るほどの色々なイベント、会議に参加した。その中で、柔軟な考え方、実践する行動力、仲間との連携を学び自信をいただいた。そして、地元である深谷市を再認識せねば…と考えさせられる出来事に出会った。
深谷市の名物と言えば『深谷ねぎ』である…。
が、『深谷ねぎ』という品種は無いと言うのだ。龍翔、秋宝、たつひかり、ホワイトスター、冬扇、夏扇4号、農研2号、宏太郎…などなど、様々な種類があることを知った。利きねぎも経験し「これは、正しく伝えるべきではないのか?」と、イタリア料理店でありながら、深谷市内の細かい産地とねぎの品種を書いた『深谷ねぎ黒板』を店内に設置した。ねぎに限らず、ゆめ☆たまごのメンバーである農家の方達から直接新鮮な野菜も届くようになった。そんな毎日を送る中で、僕の心の中で深谷の“食材様”の価値は当然上がる。一方、以前から(ミートソースを深谷牛100%に変えた頃からだろうか… )悩んでいたものが古傷のように痛みだした。
そして、迎えた2011年3月11日。東北地方太平洋沖地震。遠く離れた深谷の地でも感じた恐怖。そして、直後のガソリン不足による流通の麻痺。停電に振回される生活。目に見えぬ恐怖を振りまく原発事故。そして土壌汚染による野菜の被害。
心が沈み、暗い雰囲気が蔓延するなか、停電で真っ暗であろうが休まず、少しでも元気になってもらいたいと願い営業を続ける中、膨らむ疑問…古傷。「深谷に魅力的な食材があるのに、納得のいかない冷凍の魚介類を、わざわざ遠くから取り寄せる必要があるのか?」「その場所に行かなければ食べられない…という考え方のほうが健全なのではないのか?」…そんな思いが膨らむ毎日を過ごしています。
もしかしたら、5年後のパンチャ・ピエーナは原型を留めていないかもしれません。今のパンチャ・ピエーナを愛してくれている方には嫌われてしまうかもしれませんね…。
それでもパンチャ・ピエーナであり続ける為に、必要な変化と挑戦だと感じています。
そして、今現在は、「深谷を表現できるイタリアンを目指したい」という考えが芽生えてきました。これはポジティブな発想からなので、ゆっくりと実現させたいと考えています。
地元の旬の食材を活かし、マンマの優しい心で作るのがイタリア料理の真髄。つまり、2つの思いとは…深谷で生まれ育ち、深谷に店を構えた僕の使命だと思っています。そして、その考えを見据え、一歩…いや、踏み出そうと片足を上げかけたところです。
言いたいことが沢山あり、まとまらない文章になってしまいましたね。


